2021.05.31 (Mon)
トゥルーマリンショー1~3を作って学んだこと
最近はこういったデザイナーズノート・技術論的な話は本で書くようにしていた(※専門的な知識を無料で公開すべきではないというご意見が毎回一定数出る)が、当作品をご愛顧頂いた御礼にということで今回は書くことにした。「ゲームを買って持ってる人はより内容が分かる」という点ではある意味有料記事とも言えるだろう、と判断。
さて、今回の焦点である「トゥルーマリンショー」、うまくいった点もあれば、やらかした点もあり、その辺の話が当記事の主題だ。まずうまくいった点、これは『コンセプトの実現』だろう。もともと遊戯王の面白さとして「モンスターを出して、その特殊効果で別のモンスターを出して、それらをサクって大型モンスターを出して、またその特殊効果で…」と芋づる式に繋がる気持ちよさがあり、その面がラッシュデュエルでより強調されたことで、これをデッキ構築ゲームにも転用できるのでは?と考えた。
ラッシュデュエルが強調した点とはつまりカードドローである。元の遊戯王(というかTCG全般)はリソースとなる手札が減ってしまうと動きが鈍くなる欠点がある。ラッシュデュエルでは手番開始時に手札上限まで引くので息切れしづらく、気持ちいい時間を維持しやすい(カードをたくさん使うのはそれだけで気分がいい!!)。そしてこのドロー方式はまんまドミニオンである。「ラッシュデュエル+ドミニオン」というコンセプトは親和性・有効性ともにかなり確信を持って進めることが出来た。
また、モンスターカードを主軸に据えることで「キャラクター性を出しやすい」利点も得られた。ドミニオンのカードは基本的に使い捨てなので、TCGで言う魔法カード的な印象になる。キャラIPものの皮を被せたドミニオンもいくつか出たがあまり成功しなかったのはその辺りも遠因だろう(その点、ハトクラは上手くキャラ性を出したなと思う)。しかし、そこで選んだキャラクターが宝鐘マリンというのは多分に趣味に依るものだったが。いや、一応考えはあった。コロナの影響である。2020年からゲムマを筆頭に販売イベントがあるんだかないんだかという不安定な情勢が続いており、こうなると委託販売が頼みの綱となる。そうなった時に、販路が委託限定になるのなら二次創作も選択肢に入るのではないかと考えた。
二次創作ボドゲの辛みとは「原作ファンでボドゲも好き」という2条件を両方満たす狭い層にしか買い手がいないことだ。なので二次創作ボドゲは「ゲムマに出しても原作ファンが大して来てないので売れず、二次創作イベントに出すとボドゲ好きが大して来てないので売れない」という板挟みにあう。どこのイベントに行ってもスポットが当たることはない。しかし、局所的なイベントではなく、範囲を全国に広げるのであれば津々浦々に欲しい人は点在する。この読みはある程度当たり、近年の二次創作ボドゲでは類を見ないレベルの販売数を(多分)記録できた、と思う。とはいえ問題は、委託でしか売れてない→売上は委託手数料でゴリゴリに引かれる→全く儲からないのだが(まぁ二次創作なんてその方が健全と言える)
さて、ここからは本題のやらかしのターンである。1~3、各弾それぞれで何かしらやらかしてるので、順に振り返っていくこととする。
<第一のやらかし:設計理念に反する要素>
コンセプトが上手く実現できたってさっき書いてませんでした?すまんな、ありゃウソだ。正確には、大きな括りでは成功したが、個々の狭い範囲では思い切りが足らんかった。
根底がラッシュデュエル+ドミニオンという既存概念同士の組み合わせではあるが、とはいえ両方やってる人は少ないし、もっと言えばどちらも知らない人もそれなりにいるだろう。おまけにターゲットが宝鐘マリンファンとなれば「ボドゲって何?」の人も多数だろう。よって、ゲームを極力単純明快にすることは最重要だった。そこで「テキスト効果は基本2行以内、長くても3行(30~45文字)」を己に課した。
しかし、そこを意識するなら初期デッキの内容ももっと単純にすべきだった。効果を特に持たないバニラカードで固めて問題なかった(少なくともドミニオンはそうなってる)し、ましてや他者を直接攻撃するカードを出すべきではなかった。「色々な効果があった方が面白いだろう」というTCGオタク特有の勘違いである。第1弾時点では拡張を出す予定はなかったので、「やれそうな動きは全部詰め込んでおきたい」という欲もあった。コンセプトに徹することが出来ず不徳の致すところだ。
余談:お片付けとマジョリティボーナス(ここは読み飛ばしても良い)
ちなみに、ドミニオンではゲームを1回遊ぶたびに買ったカードを元通り仕分ける必要があり、これを疎ましく思った私は「仕分けにもゲーム的な意味を持たせよう」と考えた。これが各カテゴリのマジョリティボーナスの正体である。自分的にはすごく良いアイデアだと思ったのだが、プレイヤーは実のところ「片付けをしながら感想戦をやる」のでそこまでお片付けタイムを気にしていないことが分かった。まさに独り相撲(まぁ何かしらボーナス点を設定しないと盤面点だけでは勝敗が見えすぎるのと、カードを買うことに後半意味がなくなるので、どのみちこういう要素を入れたと思うが。とはいえ完全にライトユーザーを対象にするなら無くても良い要素である)
<第二のやらかし:すべて味付けを変えたこと>
第1弾の好評を受け、拡張を出すことを決めた。どの弾も毛色を変えることにした。第1弾はだいぶ遊戯王ライク、つまりソリティア寄りにしたので、第2弾はアメリカン(Mtg)な殴り合いテーマ、第3弾はユーロライクな間接妨害をテーマとした。色々あった方が面白いだろうというTCGオタク特有の感性がまたもや発揮された訳だが、肌に合わないカードがあってもプレイヤー側で入れるかどうかのカスタマイズをしてもらえば良いという考えもあった。(デッキ構築ゲームのデッキ構築)
が、これは結果的には失敗だった。拡張を買うプレイヤーは基本的には第1弾が面白かった/肌に合ったから手を伸ばすので、そこで違う味付けを出すのは悪く言えば裏切りである。一方で、全く同じ内容/焼き直しとなればそれはそれで買う意味なしって話になる。よくある『続編のジレンマ』というやつだ。だから我々は「変えすぎず、同じであり過ぎない」の塩梅を探さねばならない。そして、えてして加減を誤る(笑)。大抵の場合は変えすぎてしまう。なぜなら作者はプレイヤー以上にそのゲームと向き合ってる時間が長いので、マンネリを感じやすいというか──違うプレイを張り切って試したくなってしまう。こんなこともできる!あんなこともできる!すごいぞ!……でもそれが、プレイヤーにとって喜ばしいことかどうかの方が遥かに重要である。
<第三のやらかし:便利にし過ぎたこと>
第3弾でEXカード(ホロライブEN)を出すに辺り、購入手段(どうやって購入するか)はだいぶ揺れた。初期テスト版では召喚時に「4金で買う権利が与えられる」というもので、これは厳しいと不評だった。常時効果にして欲しいの声を受けて常時に変更し、さらにEXカードが売り切れても無意味にならないよう緑カードにも効果が及ぶようにした。とにかく親切設計にしようと考えたのだ。全員共通のカードだし、使いやすい分には誰も文句を言わないだろうと。
バッチリ問題があった。
ぶーちゃみーは実質的には召喚により2コスト分損する計算になるので、能力を2回使ってイーブン、3回めから得になる試算だったが、EXカードが十二分に高性能なため、2回で元が取れてしまう。また、常時効果なので都合の良いタイミングで使えば良く、「とりあえず序盤に出してそのままにしておく」という動きが安定する。便利な常時効果は展開をあまりに硬直的にしてしまうのだ。TCGなどで強力な常時効果が許されているのは破壊手段も同時に存在すればこそである。破壊手段のない世界では常時効果を慎重に検討してしすぎということはない。ましてや初期デッキに入ってて100%登場するなら尚の事。
第3弾は全体的に「ゲームスピードが早くなる分には誰も文句言わないだろう」精神が発揮されている(全体的に召喚コストが軽め。ユウティラヌスやアメリアの高性能ぶりは顕著)。せっかくEXカードを追加するのだから、「追加されたけど結局出番なかったね」を避けようという欲目が強かった。しかし、便利さが必ずしも良い方向に働くとは限らないことを痛感することとなった。
この、「便利にしたことでかえってゲーム性が損なわれる」現象を私はよく知っている。ドラクエライバルズである。第5弾で追加されたヒーローカードは「必ず最初に手札に来る」仕様で、立ち上がりがめちゃくちゃ安定する。これによって「入れないという選択肢はない」レベルで高性能であり、それ以前のデッキを全て過去の物にした。勿論、新カードを買わせるのがDCGの戦略なのでパワーインフレは仕方ないのだが、単純に強いカードが出るよりも尚悪い影響を与えた。序盤の動きを皆同じにしてしまったのだ。「どんなに強いカードでも引けない時もある」というTCGの安全弁を自ら破壊している。この前例を知っておきながら二の舞を演じてしまったのはお恥ずかしい限りだ。「皆に使ってほしいから使い勝手/安定性良くしますね」は、こと対戦ゲームにおいては極めて危険な発想である。
ちなみに、ぶーちゃみーの調整案を考えるなら「召喚コストが高い代わりに召喚時に無料でEXが買える」方向に変える。元々の問題は「召喚した上でEXの購入費用も別途用意しておかにゃならん」部分が面倒で不評だったのだから、購入費を召喚コストに含めてしまえば万事解決である。それだけだと何なので、ウケが良かった第1弾の黒歴史の挙動も足してみよう。その場合、召喚コストが重ければ(つまり使い勝手が悪ければ)隣の人に邪魔なカードを送り込む間接妨害となり、軽ければ便利なカードが隣の人に渡ってしまうジレンマとなる。どちらでも良いと思うが、第3弾からは初期カードもボーナス判定に含まれるため、後者の方がより悩ましくなるだろう。
→差し替え用データを用意したので、よろしければご利用ください。
さて、3つの反省点が他のゲーム製作者殿の一助になれば幸いである。あとついでに、改善点等もこのように見えているため、トゥルーマリンショーの商業製品化(世界観がNot二次創作)をお考えのパブリッシャー様いらっしゃったら是非お声がけください。よろしくお願いしますゥー!
2021.06.01追記
ひとつ書き忘れていたことを思い出したので追記する。
<第四のやらかし?:拡張タイトルの付け方>
当作品ではどの弾から買っても単独で遊べるように、つまり「入りやすい」ように考えて作ったが、ほとんどの人は順番通り1→2→3の順で買う(そして後ろに行くほど勢いは落ちる)傾向が見られた。安直なナンバリングタイトルでもドラクエやFFであれば「いきなり3から入る」ということはそれなりに(むしろ右肩上がりでゲーム人口が増えていた当時はそちらの方が多いくらいに)あったと思うが、国民的なゲームと比べたところで詮無いことである。
そこに関しては、やはりブレイドロンドみたく、冠名/上の句だけ統一して下の句を変える方式がより「単独でも遊べる」感を打ち出せただろうか?(デジタルゲームだとテイルズオブ方式と言った方がわかり良い)「知らない人には新作に映り、知ってる人には続編に映る」ラインを突けるというか。下手に数字を出してしまうと、例えば4を見ると「これを遊ぶにはあと1~3を揃えないといけないのか…」と考える人は幾らかは出るだろう。この辺はまだまだ知見が足りてない領域である。詳しい人いたら教えてください( 'ω')
さて、今回の焦点である「トゥルーマリンショー」、うまくいった点もあれば、やらかした点もあり、その辺の話が当記事の主題だ。まずうまくいった点、これは『コンセプトの実現』だろう。もともと遊戯王の面白さとして「モンスターを出して、その特殊効果で別のモンスターを出して、それらをサクって大型モンスターを出して、またその特殊効果で…」と芋づる式に繋がる気持ちよさがあり、その面がラッシュデュエルでより強調されたことで、これをデッキ構築ゲームにも転用できるのでは?と考えた。
ラッシュデュエルが強調した点とはつまりカードドローである。元の遊戯王(というかTCG全般)はリソースとなる手札が減ってしまうと動きが鈍くなる欠点がある。ラッシュデュエルでは手番開始時に手札上限まで引くので息切れしづらく、気持ちいい時間を維持しやすい(カードをたくさん使うのはそれだけで気分がいい!!)。そしてこのドロー方式はまんまドミニオンである。「ラッシュデュエル+ドミニオン」というコンセプトは親和性・有効性ともにかなり確信を持って進めることが出来た。
また、モンスターカードを主軸に据えることで「キャラクター性を出しやすい」利点も得られた。ドミニオンのカードは基本的に使い捨てなので、TCGで言う魔法カード的な印象になる。キャラIPものの皮を被せたドミニオンもいくつか出たがあまり成功しなかったのはその辺りも遠因だろう(その点、ハトクラは上手くキャラ性を出したなと思う)。しかし、そこで選んだキャラクターが宝鐘マリンというのは多分に趣味に依るものだったが。いや、一応考えはあった。コロナの影響である。2020年からゲムマを筆頭に販売イベントがあるんだかないんだかという不安定な情勢が続いており、こうなると委託販売が頼みの綱となる。そうなった時に、販路が委託限定になるのなら二次創作も選択肢に入るのではないかと考えた。
二次創作ボドゲの辛みとは「原作ファンでボドゲも好き」という2条件を両方満たす狭い層にしか買い手がいないことだ。なので二次創作ボドゲは「ゲムマに出しても原作ファンが大して来てないので売れず、二次創作イベントに出すとボドゲ好きが大して来てないので売れない」という板挟みにあう。どこのイベントに行ってもスポットが当たることはない。しかし、局所的なイベントではなく、範囲を全国に広げるのであれば津々浦々に欲しい人は点在する。この読みはある程度当たり、近年の二次創作ボドゲでは類を見ないレベルの販売数を(多分)記録できた、と思う。とはいえ問題は、委託でしか売れてない→売上は委託手数料でゴリゴリに引かれる→全く儲からないのだが(まぁ二次創作なんてその方が健全と言える)
さて、ここからは本題のやらかしのターンである。1~3、各弾それぞれで何かしらやらかしてるので、順に振り返っていくこととする。
<第一のやらかし:設計理念に反する要素>
コンセプトが上手く実現できたってさっき書いてませんでした?すまんな、ありゃウソだ。正確には、大きな括りでは成功したが、個々の狭い範囲では思い切りが足らんかった。
根底がラッシュデュエル+ドミニオンという既存概念同士の組み合わせではあるが、とはいえ両方やってる人は少ないし、もっと言えばどちらも知らない人もそれなりにいるだろう。おまけにターゲットが宝鐘マリンファンとなれば「ボドゲって何?」の人も多数だろう。よって、ゲームを極力単純明快にすることは最重要だった。そこで「テキスト効果は基本2行以内、長くても3行(30~45文字)」を己に課した。
しかし、そこを意識するなら初期デッキの内容ももっと単純にすべきだった。効果を特に持たないバニラカードで固めて問題なかった(少なくともドミニオンはそうなってる)し、ましてや他者を直接攻撃するカードを出すべきではなかった。「色々な効果があった方が面白いだろう」というTCGオタク特有の勘違いである。第1弾時点では拡張を出す予定はなかったので、「やれそうな動きは全部詰め込んでおきたい」という欲もあった。コンセプトに徹することが出来ず不徳の致すところだ。
余談:お片付けとマジョリティボーナス(ここは読み飛ばしても良い)
ちなみに、ドミニオンではゲームを1回遊ぶたびに買ったカードを元通り仕分ける必要があり、これを疎ましく思った私は「仕分けにもゲーム的な意味を持たせよう」と考えた。これが各カテゴリのマジョリティボーナスの正体である。自分的にはすごく良いアイデアだと思ったのだが、プレイヤーは実のところ「片付けをしながら感想戦をやる」のでそこまでお片付けタイムを気にしていないことが分かった。まさに独り相撲(まぁ何かしらボーナス点を設定しないと盤面点だけでは勝敗が見えすぎるのと、カードを買うことに後半意味がなくなるので、どのみちこういう要素を入れたと思うが。とはいえ完全にライトユーザーを対象にするなら無くても良い要素である)
<第二のやらかし:すべて味付けを変えたこと>
第1弾の好評を受け、拡張を出すことを決めた。どの弾も毛色を変えることにした。第1弾はだいぶ遊戯王ライク、つまりソリティア寄りにしたので、第2弾はアメリカン(Mtg)な殴り合いテーマ、第3弾はユーロライクな間接妨害をテーマとした。色々あった方が面白いだろうというTCGオタク特有の感性がまたもや発揮された訳だが、肌に合わないカードがあってもプレイヤー側で入れるかどうかのカスタマイズをしてもらえば良いという考えもあった。(デッキ構築ゲームのデッキ構築)
が、これは結果的には失敗だった。拡張を買うプレイヤーは基本的には第1弾が面白かった/肌に合ったから手を伸ばすので、そこで違う味付けを出すのは悪く言えば裏切りである。一方で、全く同じ内容/焼き直しとなればそれはそれで買う意味なしって話になる。よくある『続編のジレンマ』というやつだ。だから我々は「変えすぎず、同じであり過ぎない」の塩梅を探さねばならない。そして、えてして加減を誤る(笑)。大抵の場合は変えすぎてしまう。なぜなら作者はプレイヤー以上にそのゲームと向き合ってる時間が長いので、マンネリを感じやすいというか──違うプレイを張り切って試したくなってしまう。こんなこともできる!あんなこともできる!すごいぞ!……でもそれが、プレイヤーにとって喜ばしいことかどうかの方が遥かに重要である。
<第三のやらかし:便利にし過ぎたこと>
第3弾でEXカード(ホロライブEN)を出すに辺り、購入手段(どうやって購入するか)はだいぶ揺れた。初期テスト版では召喚時に「4金で買う権利が与えられる」というもので、これは厳しいと不評だった。常時効果にして欲しいの声を受けて常時に変更し、さらにEXカードが売り切れても無意味にならないよう緑カードにも効果が及ぶようにした。とにかく親切設計にしようと考えたのだ。全員共通のカードだし、使いやすい分には誰も文句を言わないだろうと。
バッチリ問題があった。
ぶーちゃみーは実質的には召喚により2コスト分損する計算になるので、能力を2回使ってイーブン、3回めから得になる試算だったが、EXカードが十二分に高性能なため、2回で元が取れてしまう。また、常時効果なので都合の良いタイミングで使えば良く、「とりあえず序盤に出してそのままにしておく」という動きが安定する。便利な常時効果は展開をあまりに硬直的にしてしまうのだ。TCGなどで強力な常時効果が許されているのは破壊手段も同時に存在すればこそである。破壊手段のない世界では常時効果を慎重に検討してしすぎということはない。ましてや初期デッキに入ってて100%登場するなら尚の事。
第3弾は全体的に「ゲームスピードが早くなる分には誰も文句言わないだろう」精神が発揮されている(全体的に召喚コストが軽め。ユウティラヌスやアメリアの高性能ぶりは顕著)。せっかくEXカードを追加するのだから、「追加されたけど結局出番なかったね」を避けようという欲目が強かった。しかし、便利さが必ずしも良い方向に働くとは限らないことを痛感することとなった。
この、「便利にしたことでかえってゲーム性が損なわれる」現象を私はよく知っている。ドラクエライバルズである。第5弾で追加されたヒーローカードは「必ず最初に手札に来る」仕様で、立ち上がりがめちゃくちゃ安定する。これによって「入れないという選択肢はない」レベルで高性能であり、それ以前のデッキを全て過去の物にした。勿論、新カードを買わせるのがDCGの戦略なのでパワーインフレは仕方ないのだが、単純に強いカードが出るよりも尚悪い影響を与えた。序盤の動きを皆同じにしてしまったのだ。「どんなに強いカードでも引けない時もある」というTCGの安全弁を自ら破壊している。この前例を知っておきながら二の舞を演じてしまったのはお恥ずかしい限りだ。「皆に使ってほしいから使い勝手/安定性良くしますね」は、こと対戦ゲームにおいては極めて危険な発想である。
ちなみに、ぶーちゃみーの調整案を考えるなら「召喚コストが高い代わりに召喚時に無料でEXが買える」方向に変える。元々の問題は「召喚した上でEXの購入費用も別途用意しておかにゃならん」部分が面倒で不評だったのだから、購入費を召喚コストに含めてしまえば万事解決である。それだけだと何なので、ウケが良かった第1弾の黒歴史の挙動も足してみよう。その場合、召喚コストが重ければ(つまり使い勝手が悪ければ)隣の人に邪魔なカードを送り込む間接妨害となり、軽ければ便利なカードが隣の人に渡ってしまうジレンマとなる。どちらでも良いと思うが、第3弾からは初期カードもボーナス判定に含まれるため、後者の方がより悩ましくなるだろう。
→差し替え用データを用意したので、よろしければご利用ください。
さて、3つの反省点が他のゲーム製作者殿の一助になれば幸いである。あとついでに、改善点等もこのように見えているため、トゥルーマリンショーの商業製品化(世界観がNot二次創作)をお考えのパブリッシャー様いらっしゃったら是非お声がけください。よろしくお願いしますゥー!
2021.06.01追記
ひとつ書き忘れていたことを思い出したので追記する。
<第四のやらかし?:拡張タイトルの付け方>
当作品ではどの弾から買っても単独で遊べるように、つまり「入りやすい」ように考えて作ったが、ほとんどの人は順番通り1→2→3の順で買う(そして後ろに行くほど勢いは落ちる)傾向が見られた。安直なナンバリングタイトルでもドラクエやFFであれば「いきなり3から入る」ということはそれなりに(むしろ右肩上がりでゲーム人口が増えていた当時はそちらの方が多いくらいに)あったと思うが、国民的なゲームと比べたところで詮無いことである。
そこに関しては、やはりブレイドロンドみたく、冠名/上の句だけ統一して下の句を変える方式がより「単独でも遊べる」感を打ち出せただろうか?(デジタルゲームだとテイルズオブ方式と言った方がわかり良い)「知らない人には新作に映り、知ってる人には続編に映る」ラインを突けるというか。下手に数字を出してしまうと、例えば4を見ると「これを遊ぶにはあと1~3を揃えないといけないのか…」と考える人は幾らかは出るだろう。この辺はまだまだ知見が足りてない領域である。詳しい人いたら教えてください( 'ω')
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